プロジェクトストーリー

走り続けるその先に、
進化した自分と野村の姿がある。

巨額のディールを成功に導く、不断の努力と信頼の積み重ね

PROJECT

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中原 駿

ウェルス・マネジメント部門

2012年入社

近畿地方の支店で未上場の法人や企業オーナーのお客様を担当する、入社10年目の中原駿。お客様の状況やニーズをヒアリングし、本社の専門部署と連携しながら為替デリバティブなどのソリューションをご提供し、数億円、数十億円規模のディールも手掛ける。現在進行形の、一人の人間の成長プロジェクト。

数十億円規模のビッグディールの成立。
これは自分だけの成果ではない。

海外からの輸入が多い企業では、将来の支払いのために、あらかじめその国の通貨をできるだけ安く調達しておき、為替変動リスクを軽減したいというニーズがある。そこで必要になるのが「外貨を買う権利を買う」為替デリバティブのスキームだ。ある製造業のお客様を担当していた中原は、財務部門の方にヒアリングを重ねながらタイミングを探っていた。

「ヨーロッパとの取引が増えている。決済時に、このくらいのユーロが必要になりそうだ」。事業部門の状況を把握し、社長をはじめとした複数の役員ともコンタクトを取って、会社の意向を見定める。同時に野村證券本社の専門チームと連携し、スキームや条件について打ち合わせを進めた。

「お客様とのコミュニケーションを密に図りながら、ニーズに応じて社内の様々な専門部署をお客様に繋ぐコーディネートをします。お客様とより強固な信頼関係を構築する必要性を感じれば、こちらの姿勢をお伝えするために、当社の役員や支店長を交えた会食をセッティングすることもあります。一見、派手な役回りに思えるかもしれませんが、私一人の個人プレーでどうにかなる世界ではありません。いわば野村ALLの“繋ぎ役”。それが私の役割です」

お客様の複数のキーパーソンのご意向を繋ぎ、野村が誇る専門性をお客様のニーズと繋ぎ、提案をまとめる。数十億円という規模のディールに結実するとき感じるのは、自分の力ではなくチームの力だと中原は言う。

「お客様が野村證券をこれだけ信頼してくださるのは、今の私たちだけでなく、歴代の担当者が汗水垂らしてゼロから開拓し、そこからずっとお客様にコミットし続けた実績があるからこそ。社内にあるお客様との取引記録を紐解くと、私が生まれるはるか以前の、1980年代に担当されていた人の記録も残っています。今の成果も、そうした積み重ねの上にあるのだと感じます」

「田んぼ道を自転車で走っていた、
あのスーツの若者は君か」

今でこそ巨額のディールを手掛けるようになった中原も、キャリアの原点は個人のお客様の新規開拓だった。日本経済はリーマンショック後の不況が尾を引く中、あの東日本大震災が発生した翌年に入社。お客様の投資意欲も高まらず、成果を出しにくい時期だった。関東近郊の支店に配属された新人の中原は、田畑地帯から海が見える港町まで、広大な担当エリアをひたすら自転車で走り回っていた。

「当時はお客様から厳しいお言葉をいただくこともありましたが、めげずに毎日、自転車で一軒一軒、訪問していきました。それを繰り返すうちに、『自転車を必死に漕いでいる若い子がいる。野村證券の若者らしい』と町で噂になっていたようです。訪問先で、『ああ、君が例の自転車の若者か』とご興味を持っていただけるようになっていきました」

そうして獲得した一件一件のお客様を大事に担当するうちに、噂はいい方向に広がった。町を自転車で走っていると、手を振って挨拶してくださる人が次第に増えてきたのだ。応援してくださる人がいる。それが中原は嬉しかった。

「ある時、ずっとお会いできずにいた方の車が走っていくのを偶然見つけたのです。3キロくらい全力で自転車を漕ぎ、ご自宅の車庫の前で息を切らしながらご挨拶して、ようやくお客様になっていただきました。必死で自転車を漕いだ甲斐があったなと思いましたね。今の若い人に、こんな根性話はピンとこないかもしれませんが、私にとっては今も心に残る大切な経験です」

「野村證券」と言っても通じない環境で、
ゼロからの人脈づくりに挑戦。

2015年に中原はグローバル人材育成のメンバーに選ばれ、1年間、ベトナムのハノイでゼロからの人脈づくりに挑戦する機会を得た。お好み焼きチェーンのハノイ出店のサポートなど様々なことに取り組む中で、想定外の人気を博したのが、モデル活動だった。たまたま現地で中原が英会話を教えてもらった講師の先生の本業がファッションデザイナーで、「何をすればいいか迷っている」という中原に「ファッションモデルをやってみれば」と勧めてくれたのだ。中原は身長189cm。長身でエキゾチックなマスクの日本人がランウェイを歩く姿は、たちまち現地のデザイナーの間で話題になった。「うちでもモデルをやってほしい」「雑誌の表紙に出てほしい」。多くの依頼が届くようになった。

「『野村證券です』と言っても通じない環境で、売れるものは自分しかない。モデル活動なら、現地の富裕層との繋がりを持つチャンスもあるかもしれないと考えたのです。『表情が堅い』と言われたりして苦労しましたが、それもいい思い出です。しかし、まさか自分がベトナムの歴史ある雑誌の表紙を飾ることになるとは驚きましたね」

目論見は的中し、ファッションショーの後のパーティで、多くの企業家との接点を持つこともできた。偶然生まれたわずかな縁を手繰り寄せ、必然に変えていく。裏表のない人柄で、初対面の人も自分のファンにしてしまう中原の人間力が、ベトナムで更にパワーアップした。

やっていないことが、まだある。
留まることのない、未知への好奇心。

帰国後は、中部地方の支店で企業オーナーへの事業承継のコンサルティングやM&Aをメインとした外交を担当。運用だけではない野村證券のサービスの幅の広さを経験した。2019年にはキャリアサポーターとして新卒採用活動にも参加。その後異動した現在の支店では、前述した為替デリバティブをはじめ、法人向けの様々なソリューションをチームで手掛けている。

「当初、為替デリバティブについては全く知識がなく、社内の人に聞いて回ったりしながら必死に勉強しました。やはり年齢・役職に関係なく、素直に『教えてください』と言えることが成長に繋がっていくのだと思います。最近は、20代から40代の若手起業家の集まりに参加して、人間関係を構築しながら、どのようなニーズがあるかをリサーチしています。近い将来、ネットやデジタルツールにも強い、若い世代の資産家の方をもっと引き込めるようなサービスを開発したい。もちろんIPOを目指す方のお手伝いもしていきたいですね」


過去の実績に満足することなく、格好を付けることもなく、ひたすら貪欲に自分が成長できる場を追い求める。「やったことがないことがまだまだある。それらを一つひとつやっていきたい」。留まることのない、未知への好奇心。走り続ける中原がその先に見据えているのは、新しい時代に呼応し、進化した自分自身と野村證券の未来の姿だ。

中原 駿

ウェルス・マネジメント部門

2012年入社

2012年

入社

関東地方の支店に配属 自転車での外交でお客様の新規開拓に取り組む。

2015年

グローバル人材育成プログラムに参加

ベトナム・ハノイでファッションモデルとして想定外の人気に。

2016年

中部地方の支店に異動

企業の承継のコンサルティング、M&Aなどをメインに外交。

2019年

新卒採用業務に携わる

就職活動をする学生にアドバイス。

2019年

近畿地方の支店に異動

法人、企業オーナーのお客様向けに、大口債券、為替デリバティブ、IPOなどのソリューション構築を行う。