社員紹介

未来に向かって、
生きていく。

日浦 裕子 営業部門 課長 2006年入社 地域環境科学部卒

より多くのお客様に最高のサービスを。
領域長としてチームをマネジメントしています。

関東エリアの支店で、マスアフルエント領域のお客様を担当するチームを中心に約50人の課をマネジメントしています。マスアフルエント(Mass Affluent)とは、「準富裕層」を意味する言葉で、企業のオーナー様等ではなく、会社員の方や定年退職をされている方など、潤沢なご資産をお持ちの方のことです。このような方々からの様々な資産運用ニーズに応えるために、私たちのチームでは800以上のお客様の口座を担当しています。また、多くのお客様に対して、より細やかなコミュニケーションが取れるよう、現在はデジタルを用いたアプローチにも取り組んでいます。

チームには入社2年目の若手社員から、60代のベテランまで、性別を問わず幅広い年齢層の社員が在籍しているため、ある方針を発信するとしても、同じ伝え方では上手くいきません。敬意を持ちながらも、年齢に関係なくフランクな姿勢で、一人ひとりと対話しながら意思疎通を図っています。私はいつも支店内を慌ただしく走り回っていますが、私一人の頑張りには限界があります。日頃からチームの柱である8人の社員に相談して、そのパートナーが確りと旗振り役を果たすことで、チームが動いていきます。今、結果も出始めてきており、良い兆しが生まれているのを感じています。

今後も特別な富裕層に限らない、資産運用に関心のある多くのお客様に最高のサービスを届けられるモデルを確立して、私たちのチームから全国の支店に広げていきたいと考えています。

130人以上の若手社員の育成に関わりました。
今では、中核社員に育っているのが嬉しいです。

これまでの私のキャリアの中心にあったのが、人材育成です。首都圏の支店での営業を経験した後、本社で人材育成に従事しました。そこでは関東3県の各支店を回って、入社3年目までの若手社員の育成を担当していました。お客様への外交に同行したり、商品知識を教えたり、相談に乗ったりと、膝を突き合わせながら、およそ130人の育成に関わることができました。

育成の仕事は大変やりがいのあるものでした。若手社員たちの努力や、目を見張るような成長にとても気持ちが動かされます。彼ら、彼女らの成長のスピードに刺激され、自分も頑張らないといけないと、身が引き締まることもあります。しばらくすると若手社員たちが娘や息子のように思えてきて、これからも一生付き合っていくというような気持ちで接していたことを覚えています。

嬉しいことに、当時私が育成に関わった若手社員たちが、今、各地の支店で中核社員に成長しています。現在、私の右腕となってサポートしてくれているチームの社員もその時の一人です。他の支店にいる社員も「あの時もらったメール、まだ今も持っています」とか、「言ってもらった言葉、覚えていますよ」と言ってくれます。やっぱり言葉って大事なのだなと感じています。できる限り、人にはポジティブな言葉をかけられる人間でありたいと思っています。

病床から力を振り絞って発してくれた、
「ありがとう!」という言葉。

これまでのキャリアにおいて、たくさんの印象深いお客様がいらっしゃいます。新人の頃、野村證券にネガティブなイメージを持たれていることで知られていたお客様を引き継ぎ、時間をかけてご意向を伺っていった事で、最終的には大きなお取引をいただく関係を築けたこともありました。お客様の生き方やご家族のことも理解することで、人生に関与していけるようなこの仕事がどんどん好きになっていきました。

今の支店に来てから担当したお客様のことです。その方はご高齢の方で、いつもおしゃれを欠かさない方でした。たくさんの新聞の切り抜きや経済誌を持ってご来店されては、今後の世界がどのように変化するのかを興味深くご質問されるのが日課でした。ある日、体調を崩してご入院されたと娘様からご連絡があり、娘様とお孫様と一緒に病院にお見舞いに行きました。お身体を横たえ、お話しする元気のないご様子で、娘様も「もうほとんど話さないのよ」と寂しそうにされていました。そして、私がお別れのご挨拶をして病室のドアを開けた瞬間、背中の方から「ありがとう!」というとても大きな声が聞こえました。振り絞ってくださった声が、心に沁みました。それがお客様からいただいた最期の言葉となりました。

その後、娘様から「日浦さんが父の人生を投資を通じて楽しませてくれたわ。本当にありがとう」と感謝のお言葉をいただき、こちらこそ貴重な経験をさせていただいたと思いました。仕事を通じて、お客様の人生を豊かにするお手伝いができていたのだとしたら、とてもやりがいがある仕事だと改めて感じました。そのお客様はお会いする度に、「未来が楽しみだなあ」と口癖のように仰っていました。大往生を遂げられた人生の大先輩であるお客様のそのお言葉を聞く度に、30代後半の保守的になりがちな私にとって、自分にもまだまだできることはある、ちゃんと生きていこうと、背筋が伸びる思いがしました。

変化に肯定的な人は、
ずっとキラキラしている。

「20代で自分を壊して、30代で自分をセグメントして、40代で社会に貢献する」20代の頃から、私はそう思って生きてきました。「壊す」とは自分の常識と対立する考えを受け入れ、価値観をできる限り中立にして新しいことを吸収するということ。学生の頃もアフリカのサバンナに行ったり砂漠の緑化活動をしたり、就職活動の時も時間の許す限り多くの会社を見に行ったものです。たくさんの考えや経験で自分をいっぱいにしたら、30代はそこから削ぎ落としていき、残ったものが自分の軸になり、その軸をいかして社会に貢献していくことが、自分の生きる道になるのではないかと思っています。

就職活動の時、色々な方にお会いした中で、野村證券の人はなぜかキラキラ、ツヤツヤして見えて、直感的にこの人たちと一緒に働きたいと思ったのを覚えています。あの輝きはなんだったのだろうと今考えてみると、毎日変化するマーケットの中で仕事をしている人たちなので、変化に肯定的で、新しいものを取り入れていく生き方、それがキラキラに繋がっているのではないかと思います。皆が真剣なのも、お客様の人生にも関わるお金をお預かりするからです。その真剣さが人を輝かせるのだと思います。

将来なりたい自分は、人として強く、でも柔らかい人です。仕事でもプライベートでも、どんなことにもしなやかに突破して進める自分でありたいと思います。

日浦 裕子

営業部門 課長

2006年入社

MY FAVORITE

5歳になった娘の成長に驚かされる日々。私の仕事の相談にも乗ってくれます。夫と娘とも、チームメイトのような感じで、三人で生きています。