を。
2015
畑 壮吉
営業部門
2015年入社

高校時代は野球、大学ではアメリカンフットボールに打ち込んだ。就職活動は二の次だったが、部活動の先輩から野村證券を勧められ、厳しい環境に惹かれて入社を決意。入社後、首都圏の支店に勤務。

自由な学生時代、
あえて厳しい道を選んだ。

学生時代に取り組んだこと

大学4年間は、多くの学生にとって自由な時間です。だからこそ私は、自由を謳歌せずあえて厳しい道に進みたいと思っていました。「この大学で一番つらいことをしているのは俺たちだ」という勧誘に惹かれ、全く経験のないアメリカンフットボール部に入部。初めてのことにチャレンジして、自分を一から磨くことを決意しました。
それからは、週5日朝から晩までアメリカンフットボールの日々。リーグ優勝を果たした先輩が引退した時期が一番苦しい時期でした。自分達の学年があまり強くないことは分かっていたので、後輩達に行動で示すために、それまで以上に練習に励みました。最後の試合の結果はふるいませんでしたが、仲間とお互いを厳しく律して突き進んだ日々は、今でも自分を支えてくれる良い想い出です。

自分が全国で通用するのか、
試してみたい。

野村證券を選んだ理由

大学4年生までアメリカンフットボール漬けの日々であったため、就職活動に充てる時間はあまりありませんでした。そんな中、同じ大学の先輩が野村證券で働いていることを知りました。「証券は、同期がみな横並びでスタートできる世界。今知識がなくても、努力次第で日本一になれる可能性がある」という先輩の言葉で、野村證券に強く興味を持ちました。九州で生まれ育った私は、いつか自分が全国で通用するのか確かめてみたい、一生懸命努力すれば全国の有名大学出身者と渡り合えるかもしれない、という思いがありました。向上心のある人たちが集まる環境なら、きっとビジネスマンとして大きく成長できる。そんな思いで、入社を決意しました。

やるしかない。成長が実感できなければ、
九州から出てきた意味がない。

新人時代の経験

研修を終えて配属されたのは、首都圏の支店でした。はじめて暮らす土地、はじめての仕事。楽しみよりも、不安のほうが勝っていたと思います。でも、やるしかない。何かを得られなければ九州から出てきた意味がないと思い、がむしゃらに仕事をしました。
1年目は、知識も経験も乏しく、もちろん思うようにビジネスは進みませんでした。努力をしても結果が出ない苦しい日々を過ごしましたが、同期社員と励まし合い、インストラクターに様々なアドバイスをもらいながら、外交を継続しました。お客様とうまくお話ができない日々も、なるべくポジティブに考えるように心がけて、毎日歯を食いしばって乗り切っていました。ようやく地道な外交が実りはじめたのは、秋になる頃。お取引が増え始め、これまでの努力が無駄ではなかったことを実感できました。その時出会ったお客様とは、今でもお取引が続いています。

転勤する先輩に、
成長した姿を見せることができた。

印象的だった仕事

だんだんと仕事が面白くなり、いつしか、大きな額のお取引も手掛けるようになりました。1年目の最大のお取引額は1億円。お客様のために尽くした結果が、数字となって現れた嬉しい契約でした。盛り上がる支店のなかで、ずっと面倒を見てくださったインストラクターの先輩が、ひときわ嬉しそうに笑ってくれていました。実はその頃、そのインストラクターは転勤することが決まっていたのです。毎日外交結果の報告をして、褒められたり怒られたりしながら、自分達を育ててくれた方がいなくなる。本当に悲しかったけれど、私も立派に成長した姿を見せて、お別れするしかありません。転勤直前のタイミングでしっかりと結果を出すことができ、本当に嬉しかったです。

仕事に必要なのは、
論理的に考える力。

社会人になってからの変化

学生時代はただ闇雲に努力をしていましたが、今では論理的に考える習慣が身に付きました。
スポーツの世界でも、戦略やメンバーの役割など様々な工夫をする必要があります。ただ、それ以上にビジネスの世界では、論理が大事。お客様の大切なご資産を管理させていただくわけですから、経済動向や社会情勢をしっかり把握した上で、専門的な指標などを読み取り、的確なご提案に努めなければいけません。論理的に考え、分かりやすくお客様にご提案する力が必須です。私は今、全国の同期社員と切磋琢磨する日々に幸せを感じています。より広い視野を養うために九州から出てきた結果、レベルの高い社員に毎日刺激を受け、お客様にも様々なことを教えていただいています。ビジネスマンとしてかけがえのない、貴重な経験をしている実感があります。
これからも、この広大なフィールドを舞台に、圧倒的に成長ができるよう邁進していきたいと思っています。